2026-01-13

本のはじまりと、終わりのあいだの話―装丁家・鈴木成一インタビュー

 

 

2025年12月、東京・下北沢の本屋B&Bと小学館の主催で、B&Bの1Fにある「BONUS TRACK GALLERY1」でで開催された「鈴木成一書店」。
装丁家・鈴木成一さんがこれまで手がけてきた本が約1万冊並び、会期中、多くの来場者で賑わいました。

そして、会期中に販売されていた本の残りは、イベント終了後、古本としてバリューブックスに引き取られ、特別な栞を挟んで販売されることに。現在、オンラインを通じて、次の読み手のもとへ届けられています。

 

本をつくることと、手放すこと。

装丁家・鈴木成一さんに話を伺いました。
(聞き手:内沼晋太郎|バリューブックス取締役 / 本屋B&B共同経営者)

 

右:鈴木成一、左:内沼晋太郎
「鈴木成一デザイン室」にて

 

 

40年分の本が、ひとつの書店になったとき

 

内沼)
今日お伺いしたいことは、大きく2つあります。
1つは、「鈴木成一書店」というイベントを実際にやってみてどうだったのか、という話を伺えたらと思っています。

もう1つは、ブックデザインについてです。これはもう、いろんなところで何度もお話しされていることかもしれませんが、今回の記事は特に、たまたま「鈴木成一書店」に並んでいた本を古本として買って、手元に届いた人が読む記事になるので、どういう人が、どういう考えで本を作っているのか。それが伝わる内容になるといいなと思っています。

40年間デザインされてきた本たちが、ある種の集大成として「鈴木成一書店」という形になった。まずは、そのあたりの経緯から伺えればと思います。

 

2025年12月に下北沢にて開催された「鈴木成一書店」
これまでに手がけた約1万5000冊の装丁のなかから約1万冊が展示された

 

鈴木)
正直に言うと、言い方は悪いけど業者に保管していた本の「処分」としての側面もあったんですね。
僕がやってきた本というのは、芸術作品みたいに展覧会でガラス越しに見るものではないと思っていて。書店で手に取ってもらって、気に入ったら買ってもらって、持ち帰ってもらう。そういうことができるなら、何かやってもいいかな、と思った。
そのあたりの条件やスペースも含めて、いろんなことがうまく重なって実現した、という経緯ですね。

 

内沼)
普段は本のデザインをされていて、それがすべて並んだ空間を「書店」として使うというのは、初めての経験だったのではないかと思います。実際にやられてみて、いかがでしたか。

 

鈴木)
あの空間を作れた、ということ自体が自分にとっても一番の驚きでしたね。こんなふうになるんだな、というか。やっぱり置いてみないとわからない。
本で空間を埋め尽くしたときの、あの圧倒的な感じはちょっとびっくりしました。

 

内沼)
SNSを見ていても、編集者の方など多種多様な人が来ている印象がありました。

 

鈴木)
正直、こんなの売れるのかな、と思いながら値段をつけていたものも結構売れました(笑)。
子どもも来るし「絵本はありますか」と聞かれたり。若い男の人が「哲学と宗教でおすすめはありますか」と聞いてきたり。
まさに書店員みたいなことをやりながら、自分がやってきた仕事の幅を改めて実感しましたね。

 

内沼)
スタッフからも、鈴木さんがいつも朝一番に来て、じっくり本を並び替えていた、という話を聞いています。

 

鈴木)
居心地が悪いんですよ、本の並びがぐちゃぐちゃだと。たとえばノンフィクションで、戦争の話の横に、急に感動的な子育ての話が来たりするとおかしいでしょう。
あまりにも居心地が悪いし、集中できない。それがすごく嫌なんです。来た人は勝手に探してくれればいい、という考え方もあるけど、類似したものがあってそこから発見がある。
だから毎朝並べ替えて、できるだけ近いもの同士を集めていました。

 

内沼)
まさに書店員の仕事ですね。

 

鈴木)
純粋に楽しかったです。並べ替えることで、小さな宇宙ができあがる感じがして、それが面白かったですね。

 

内沼)
鈴木さんは、デザインされるにあたって全部ゲラを読まれる、という話をいくつかの記事で拝見したのですが、やはり読んでいるからこそできることだな、とも思いました。

並べていて「これは気持ち悪いぞ」という感覚も、読んでいるからこそなおさらあるものなのかなと。どんな書店員でも、売り物のすべてを読むことは到底できないので、そうした意味でもこれまでにない書店だったと思います。

 

鈴木)
先にも言ったように自分は作品を作っている、という感覚はまったくないんですよ。アーティスティックな作品を作っている、という意識がそもそもない。あくまで仕事として請け負っていて、その本がその本である、という証拠を作っている。
装丁というのは、その本がそこに存在するための証拠みたいなものだと思っていて。だから半分、生き物みたいな感じなんですよね。
ちゃんと居場所があって、そこに存在する意味みたいなものを与える。僕の中では、人格みたいなものがあるんです。

そういうものを作ろうとしてやっているので、カテゴリー分けとか、並びとかも、もう生理的にどうしても気になってしまう。

 

内沼)
読まずにデザインする人もいますよね。編集者からの説明と企画内容だけで、あとは自分の解釈で形を与えるというやり方だろうと思うのですが。

 

鈴木)
そういう人がいるのも知っています。でも、僕にはそれはできない。
説明されただけでは、実感にならないんですよ。本が持っている本質というか、例えば物量。こんな本だったら、読むことによって、どれだけ大変かということが体でわかる。
企画書一枚で説明されても、それは実感できない。

本には、内容、著者、出版社、どう売りたいかという思惑も含めていろんな要素がある。それらが合わさって、ひとつの個性になる。だからこそ、今、このタイミングで出る意味、その強度や問題意識をできるだけ表現したい。
デザイナーとして主体性がないわけではないけれど、意識としては、演出する、ということに尽きます。自分の主体性は、正直邪魔なんですよ。
依頼された時点で存在している要素を組み合わせて、本そのものが主体性を持つようにする。
それが結果として、その本としての強さにつながっていくんだと思っています。

 

パッケージであり、プロダクトでもある本。その声を聞く

 

内沼)
本屋をやっている中で思うのは、本って、店頭に並んでいるときはパッケージである、ということです。一方で、家に持って帰って本棚に並んだ瞬間から、それはもう完全に自分のものになる。プロダクトといいますか、私物になる。その2つの側面が、本には同時にあるじゃないですか。

 

 

鈴木)
だから単にチラシみたくね、目に留まればいいってことじゃない。 持ち物としての側面は、大きいじゃないですか。家具的な感覚、グッズ的なものというのはありますよね。 そのためにやっぱり紙の質であったり、あとはその手触り感とか、佇まいはやっぱり重要だと思います。

そこが上手い人がやっぱりね、生き残るような気がしますね。

 

内沼)
パッケージとプロダクトとしての力の両方を成立させるのが良い装丁家だと。

 

鈴木)
そうですね。そこに強い存在感を与えられる人がやっぱりね、デザイナーとして残るような気がするな。一番すごいのはやっぱり菊地さん*なんだよね。

菊地さん*:40年以上にわたり日本のブックデザインをリードしてきた装幀家の菊地信義

 

 内沼)
実は、菊地さんの映画「つつんで、ひらいて」のパンフレットに寄稿させてもらったことがあって。その映画を観たときに、すごく印象に残ったのが「本当に仕事が細かいな」ということだったんです。
鈴木さんからしたら当たり前の話かもしれないんですけど、やっぱり1ミリとか、ほんのわずかな違いが、物としての強度にかなり影響しているという前提で考えられているのだろうと思いました。そういう実感って、お仕事のなかに実際にあるものなんでしょうか。

 

鈴木)
やっぱり感覚的なものですね。少し上にしたり、下にしたり、ちょっと字間を空けるとか、逆に詰めるとか、そういう本当にわずかな調整で全然変わってくる。ミリ単位、というか、実際にはミリじゃなくて、零点何ミリ単位でやっている感覚じゃないかな。

 

 内沼)
もうひとつ伺ってみたいのは、時代の要請、みたいなものは意識されるのだろうかということです。
つまり、本の中身そのものが示しているものがまず一方にあると思うんですけど、同時に、40年の間に当然、世の中自体も、そのときに受け入れやすいデザインも変わってきていると思うんですよね。
そうした時代の要請みたいなものの変化も、やはり感じられてきたのでしょうか。

 

鈴木)
自分はもう、その本が「欲しているもの」を聞き取っている、という感じですね。だから、時代的な流れからの要請、みたいなものがあるのかと言われると正直よくわからない。
流行りみたいなものはあります。たとえば、こういう書体が流行っている、とかね。
でも、そういうのはどうしても表面的な話に感じてしまう。
もっと本質的なものは「いま、ここに出したい」「出現させたい」というものがあるかどうかだと思うんですよね。
それは、どの時代でも同じようにある気がします。

 

内沼)
そもそも中身の方も、時代に合わせて変わっていってるわけですもんね。

 

鈴木)
そうです、そうです。
社会が動くというのは、もうしょうがないというかね。流れとして、社会の変化は止めようがないものとしてある。
やる側としては、やっぱりその時代、その社会の中で、否応なく関わらざるを得ない、という感覚はありますね。

 

情報ではなく、「もの」として本に向き合うこと

 

内沼)
40年という時間の流れで考えると、ちょうどその真ん中あたりで、Amazonみたいな存在が当たり前に入ってきたと思うんですよね。つまり、ネットで本を買うことがだんだん当たり前になっていく中でのお仕事だったと思うんですけど、それによる変化みたいなものというか、何か感じられることはありますか?

 

鈴木)
Amazonというか、オンラインでの販売を考えると書影はちょっと派手で、文字が大きいほうがいいとか、そういうことを言う人はいますけど。とにかく自分は、本にするところまでが自身の仕事の範囲だと捉えています。その先の流通については、お任せしています。

 

内沼)
なるほど。流通の話をさせていただくと、私が取締役をしているバリューブックスも、取次の流通自体がかなり危うくなってきている中で、古本にとどまらず新品の本にも手をひろげて、もう少しコンパクトな新しい流通網を作ろう、と結構大きく動き始めているところなんです。

 

鈴木)
それはすごい大事ですね。

 

内沼)
ありがとうございます。私たちも基本的にこれからも紙の本を扱っていくので、ちょっと大きな質問になってしまうんですが、改めて、今の時代における「紙の本の魅力」って、どんなところにあると思われますか。

 

鈴木)
最近だと、絵画で言えば、ネット上でやり取りされるようなアプローチもあると思うんですけど、実際の現場の絵画を見ると、もう作品自体がものすごく巨大になっている。音楽で言えば、ライブが中心的になってきているし、モノとしてはレコードが売れていたりもする。
何なんでしょうね。ノスタルジーなのかな。どうなんだろう。

 

内沼)
反動的なもの、という気もします。

 

鈴木)
あまりにも情報が多すぎるんですよね。だからこそ、きちんと「もの」に向き合う、ということが必要なんじゃないかと思うんです。
本なんて、まさに物体としてそこに居合わせるものじゃないですか。向き合う力、というか、自分と対峙する力。そういう意味では、本にはやっぱり身体的な関わりがあると思います。
単に電子で、情報として右から左へ流すのとは違って、向き合って、お互いに存在しているという関係。形がない、というのはやっぱりダメだと思うんですよね。

 

内沼)
関係を結ぶためには、形が必要だと。

鈴木)
右から左へ流してしまうと、ただ情報として消費するだけのものになってしまう。

情報って、他人を出し抜くための道具みたいに見えることがあるんですよ。
でも、物をそこに置くということは、それでは済まない。
だから、消費物というより、自分を正すとか、自分を見いだすとか、そういうものなんじゃないかなと思うんですよね。

情報はどうしても「出し抜く」方向に行きがちだけど、そればかりじゃないとは思いますけどね。

 

内沼)
その情報だったものに形を与えることで、さっきおっしゃっていたような本の人格みたいなものが立ち上がってくるんですね。

 

鈴木)
陶器が好きだとか、このカップが好きだとか、そういう感覚と同じだと思うんです。頭の中だけの話じゃなくて、身体的に関わることを求めてくる。
だからこそ、本は他のメディアとは違うものとして存在しているんじゃないかな。逆に、電子書籍が出てきたからこそ、そこがはっきり意識されるようになった気もします。

 

 

命を受け継ぐように、本をつくり、本を手放し、また誰かの手元へ


内沼)

以前、別のインタビューで「仏壇とか墓みたいなイメージがある」という話をされていて、すごくしっくりきたんですよね。

 

鈴木)
日常の中で、自分を正すために、そこに行って向き合う、拝む、みたいな感覚がある。まさに墓とか仏壇なんですよ。なんか、そんな感じがすごくしますよね。

 

内沼)
個人的な話なのですが、今年初めてパリに行って、サンジェルマン・デ・プレの墓地に行ったんです。そのときに、パリって羨ましいなと思ったのが、大作家や大哲学者の墓が、街の中心近くに普通にあることでした。これは気が引き締まるなと。

 

鈴木)
パリって、それ自体が墓みたいなもんだよね。

 

内沼)
そうなんです。今のお話と重ねて考えると、家に本を持ち帰って並べるというのは、亡くなった著者も生きている著者も含めて、いろんな人の墓に囲まれて暮らす、みたいな感覚なのかなと思いました。

 

鈴木)
命を受け継いでいる、みたいな気持ちになりますよね。物心っていうのかな、何かしらが宿るんじゃないですかね。この前デザインした本で、30年取材した内容を1冊にまとめた本がありました。千ページあるやつで、あれはもう、霊ですよ(笑)。

内沼)
『東京の生活史』とかもそうですよね。

 

鈴木)
もう、宿りますよ。妙なものが。

 

内沼)
今回、「鈴木成一書店」で販売した本も、イベント終了後にバリューブックスに売ってくださった本も、お客さんの手元に届くとき、不思議な来歴がわかる本ですよね。この本をデザインした人のもとに、ずっとあった本なんだ、という。

すべての古本には、誰かが読んだ、あるいは読まれずに手放された、いろんな来歴がある。あまり知られることはないけれど、本来はそういうストーリーを含んで手元に届いていることも、古本の面白さだなと思うんです。

 

鈴木)
こんな取り組みは、初じゃないですか。著者もやっていないと思う。

 

内沼)
そうだと思います。

 

鈴木)
書店に行っても、誰が自分の本を見ているかは分からない。でも、あそこでは全員が自分の関わった本を見ている。3時間くらいいる人もいた。初めて読者を目撃した、という感覚でした。

 

内沼)
本当に面白い取り組みをご一緒できて嬉しかったです。最後に、今回手放していただいた本が、この記事を読んでくれている方の手元に届くかもしれないということで……

何かメッセージをいただけると幸いです。

 

鈴木)

40年間で1万5千冊、1日1冊をデザインしてきた計算になります。ちゃんと作業をやってるのか、と思われるかもしれない。でも、やり続けてきたことは間違いじゃなかったと思っています。半年くらいかけて作った本もあります。

どれも情熱の塊なので、居住まいを正して、向き合ってもらえたらと思います。

現在バリューブックスで販売しているこれらの本の一部には、特別なしおりが挟まれています。
私たちがふだん扱っている本は、すべて誰かから買い取ったものです。ただ、その本がどこで、どんな時間を過ごしてきたのかは、ほとんどの場合わかりません。

今回の本は、長年、装丁家・鈴木成一さんの書庫に保管され、「鈴木成一書店」という一時的な書店に並んでいたものです。その来歴を、ほんの小さな手がかりとしてでも、次の読み手に手渡せたらおもしろいのではないか。そんな思いから、このしおりを挟むことにしました。
しおりが入っている本が届くかもしれないし、届かないかもしれない。けれど、どちらであっても、その本がどこから来たのか、誰の手元にあったのか、少しだけ想像してみてもらえたら嬉しく思います。

posted by 神谷周作

愛知県の片田舎生まれ。大学卒業前、就職するのが嫌でバンコクに1年ほど住んでいました。なのでタイ語話せますสวัสดีครัป

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