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2022-08-01

負けず嫌いとインパクト |『B Corpハンドブック』日本語版まえがき 【文=鳥居希】

 

バリューブックスの出版レーベル「バリューブックス・パブリッシング」の刊行第一弾となる『B Corpハンドブック よいビジネスの計測・実践・改善』。その監訳を務めたバリューブックスの鳥居希による「日本語版まえがき」を特別公開します!

バリューブックスが歩んできたB Corpの旅、鳥居による本書にかける思いとは。

 

『B Corpハンドブック よいビジネスの計測・実践・改善』
B Corpハンドブック翻訳ゼミ=訳
鳥居希・矢代真也・若林恵=監訳
バリューブックス・パブリッシング刊
Photo : Ichisei Hiramatsu

 

わたしは、小さいころ病弱でした。3歳から入った幼稚園は、ぜんそくのような症状ですぐに退園。4歳からまた幼稚園に通いましたが、小学校に入ると風邪をひきがちだったり中耳炎に何度もなったり、クラスでも断トツに欠席の多い子どもでした。ただ小学校高学年になると食欲旺盛になって体力がついたのか、ほとんど体調を崩さないようになりました。

体が弱かったことに加え背がとても小さく、整列するときは常に先頭でした。小学校時代には1度だけ前から2番目になり、そのときに家族がお祝いしてくれたことを覚えています。背が低いことはずっとコンプレックスでしたが、大学生になって東京で生活するようになり、同じように背が低い人と出会う機会が増えると「自分だけじゃないんだ」と目から鱗が落ちて、身長に対して劣等感を覚えなくなりました。

生き延びるために、他人に負けない強い力をもちたい。幼少時代の弱い体と低い身長が、ひと一倍負けず嫌いなわたしをつくったのでしょう。それが自分なりの生存戦略だったのです。身長に関するコンプレックスは消え体も丈夫になりましたが、その戦略だけは自分のなかに残りました。

 

 

特権の魅力


大学を卒業したあと、新卒で外資系の証券会社に入社しました。当時は、証券会社での仕事に就けたこと、その後どんどん昇格していったことを自分の努力のおかげだと思い込み、負けず嫌いに拍車がかかり、能力主義の権化のようになっていきました。

「この会社が崩壊して誰もいなくなったとしても、鳥居さんは最後まで残って働いているだろうね」と笑いながら同僚に言われるほど会社にコミットしていましたし、それを嫌味とは受け取らず、ほめ言葉とすら感じていました。

この証券会社時代に、「インパクト」というものをはっきり意識するようになりました。金融という力を使って社会にどれだけよいインパクトを与えられるか、つまりビジネスの血であるお金がもつエネルギーを制御できる特権的な力に魅了されていました。その力を操れるようになることが、会社での生存、昇進や昇給にも気づかないうちに直結していたからでしょう。

その後金融危機のあおりを受け、突然会社を辞める日が訪れます。退職後、別の金融機関で働くという選択肢もありましたが、「あのインパクトを、より多くの人のために生かせたら……」とぼんやり考えながら、2014年11月に自分が育った長野県に戻り、自分で事業をつくろうと動き出しました。

外資金融出身の経歴からちやほやされることも多く、「いままでの経験を生かして起業できるだろう」と思っていましたが、すぐに現実と直面します。そのころ通っていたコワーキングスペースで出会った人たちは、ITだったり、PRだったり、経営者だったり、ひとりで仕事ができる人たちでした。すぐに何かをできないわたしは、焦るばかりでした。自分ひとりではインパクトを生み出すことができなかったのです。お金がもつ力の源泉の近くにある金融業界では、自分の努力が結果を生んでいたのではなく、構造上の特権によって仕事ができていただけだと、そのときようやく気づきました。

そんななかで相談に乗ってもらったのが、長野県の上田市を拠点に本の買取販売を行なうバリューブックスの創業者・中村大樹です。もともと友人だった彼の誘いで、バリューブックスが社員のために行なった母の日のイベントや、主催する映画の上映会を手伝ううちに、同社で働く人たちと会う機会が増えました。いつのまにか、「この会社で働いたら、自分が事業を興すより、もっとよいインパクトを出せるのではないか」と、そう考えるようになりました。

ある時、中村から「人間と本の関わりは、自分たちがこの世からいなくなっても続く。だからこそ、その関係が少しでもよくなるようなビジネスをしたい」という話を聞いて、悠久の時間の流れと自分が交わるような感覚をもち、「この人たちと同じ船に乗りたい」と強く思いました。2015年7月、バリューブックスでの日々が始まった瞬間でした。

 

 

 

「自分」と「会社」の重なり


長野に戻ってからバリューブックスに入る前、社会的インパクト投資について知る機会があり、その流れでB Corpを知りました。ちょうどその頃知り合った友人たちが、アメリカのサンフランシスコに起業家、投資家、教育関係者、政策立案者が集結するインパクトエコノミー・カンファレンス「SOCAP」に日本チームをつくって参加すると聞き、バリューブックス入社後でしたが無理を言って参加を決めました。

参加にあたっては、SOCAPのスピーカーだったBetter World BooksとPatagoniaの担当者とつながりをつくることが、わたしの目的のひとつでした。SOCAPに行く前に中村と話すなかで、彼がそのふたつの会社に興味があることを知ったからです。Better World Booksは、バリューブックスがベンチマークしているアメリカの会社のひとつで、使わなくなった本を人びとから集め、NPOなどへ寄付を行なっています。調べてみると、Better World BooksはPatagoniaと同じく認証B Corp、しかも初期からのメンバーだったのです。

入社時にはB Corp認証をバリューブックスで取得することは考えていませんでしたが、もともと自分が興味をもっていた事柄と、バリューブックスという会社が交差していることに気づきました。この時、初めてバリューブックスのB Corp認証取得を意識したことを覚えています。

SOCAPの会場ではPatagoniaの環境イニシアティブ担当副社長のリック・リッジウェイさんと投資部門のフィル・グレイブスさん、Better World Books共同創業者のグザヴィエ・ヘルゲセンさんが登壇するセッションに参加しました。イベント終了後には彼らと話すことができ、それぞれの会社を訪問する約束を交わすこともできました。

そして翌年となる2016年にバリューブックスの仲間たちと、Patagonia本社、Better World Books、さらにB Labのサンフランシスコ・オフィスへと向かいました。経営の参考にしている認証B Corpの現場を見て自分たちがよりよい会社となるためのヒントを探り、B Corpについても理解を深めることが目的でした。現場を見たり、創業者や経営者から会社が進化していく過程の話を聞いたりするなかで、B Corp認証は取得して終わるものではなく、そこから改善しつづける道しるべとなるものだということを心から納得することができました。

また、旅のなかで議論を重ねることで、自分たちが行なうさまざまな取り組みにおいて、B Corpはさらにインクルーシブな指針をもたらしてくれることが理解できました。そして、志を同じくする企業と知恵や経験を共有して学び合い、実践に生かしたいと思うようになっていったのです。

 

 

 

 

仲間をつくるための出版


SOCAPのセッションでPatagoniaのリック・リッジウェイさんが「それぞれの企業はビジネスではよい競争相手だ。しかし、社会課題は大きすぎて1社ではとても手に負えるものではない。だからこうして一緒に立ち向かうんだ」と言っていたのが記憶に残っています。この言葉は、わたしたちがB Corp認証の取得を自社で進めつつ、同時に仲間も見つけていきたいと思うきっかけにもなりました。

ただ、認証取得へのプロセスで常々感じていたことですが、そこで高いハードルとなるのは言語です。B Corpの情報は、基本英語で公開されています。2022年4月現在、グローバルサイトには、英語の他にスペイン語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語が掲載されていますが、まだ日本語はありません。認証のためのスコアを計測するBインパクトアセスメントや、さまざまなガイドラインも、英語の読み書きができなければ現実的には実践が難しいのです。

本書の原著である『The B Corp Handbook』は、Bインパクトアセスメントの具体的な項目に回答しアセスメントを参考に実践を重ね、B Corpを包括的に理解し解釈を深めるためにとても役立つものでした。ただ、日本語版がないために社内や社外への説明が難しく、細かい解釈をうまく伝えられないと思うことも少なくありませんでした。

「誰か翻訳して日本語版をつくってくれないかな……」。Bインパクトアセスメントに取り組みながら、そう思っていた2019年の終わりごろ、ちょうどバリューブックスで自社の事業をよりよく理解するために出版事業を立ち上げるという動きが、PatagoniaやBetter World Booksを一緒に訪問した社外取締役の内沼晋太郎を中心に生まれていました。

ムーブメントをつくり、どう仲間を見つけていくかという話を内沼とするなかで「出版事業の第1弾として『The B Corp Handbook』の日本語版を出版するのはどうか?」という提案がありました。自分たちで日本語版をつくるという選択肢はまったく考えていませんでしたが、「誰かがつくってくれるのを待っていてもしょうがない。ないのなら、自分たちでつくろう」と、この本の出版を決めました。

問題になったのは、翻訳を誰に依頼するかです。日本語に訳すことが主旨ではあるものの、B Corpの思想をきちんと取り入れたプロセスを経てアウトプットしたかったからです。何人かにプロジェクトについてヒアリングをさせてもらい、その結果をもち寄っての議論を何カ月も繰り返しましたが、そこで行なわれる毎回の会話が面白く、B Corpを日本で実践していく上で重要な対話が生まれているという実感がありました。

その結果、できるだけ開かれたプロセスで翻訳を進めたいと思うようになりました。翻訳をひとつの権威に頼るのではなく、参加するメンバーと議論しながら本をつくりたくなったのです。ある日ドキドキしながらプロジェクトチームにそのアイデアを相談してみると、「その方がしっくりくる」という返事が来ました。そこからプロジェクトは、オープンなプロセスを実現するために、編集者の若林恵さん、矢代真也さんとわたしの3名がアンカーとなるかたちで、ゼミをつくる方向へと進みます。その概要については巻末の「日本語版の制作について」(P.228)にまとめています。

ただ、監訳者3人のプロフィールをご覧いただくとわかるように、わたしたちは決して多様性にあふれたメンバーではありません。だからこそ、一緒にプロジェクトを進めるゼミのメンバーは、応募してくれた方々のなかから、できるだけ多様な業種や職種になるように、さらにわかる範囲でのジェンダーバランスも考慮に入れて決めることにしました。彼ら・彼女らと一緒に取り組むことで、できるだけ多様な背景を基盤とした議論にもとづいた翻訳と註を本にしたかったからです。

ゼミを通してできるだけ透明性や説明責任を重要視したプロセスを心がけていましたが、それが簡単ではないことも痛感しました。たとえば、ゼミでの課題告知から提出までが、参加者全員にとって十分な期間か?運営の計画を遅延なく共有できているか?その実践は、口で言うほど簡単なものではありませんでした。

ゼミのなかで「自分たちの周りにあるコミュニティを洗い出して、そのコミュニティに対して貢献できることを考える」というテーマでグループディスカッションをしたことがあります。その結果、自分たちが身の回りのコミュニティを見られていない、想像できていないという事実が浮かび上がり、その会は重苦しい空気で終了時間を迎えました。

ダイバーシティ、透明性、説明責任を実践するのは、とても大変だと実感したプロセスでした。同時に、だからといってやらない理由にはならないことも理解できました。簡単ではないからこそ、そこに集まった仲間と知恵や経験を共有し合うことで、自分たちの実践が助けられたからです。むしろ困難な道のりを一緒に歩いたからこそ、そのつながりは強固なものになったような気がします。

2021年6月にゼミを終了したあと、メンバーと久しぶりにオンラインで集まったとき、自分が働く会社のB Corp認証申請に向けて動きはじめた、新規事業にB Corpの思想や基準を取り入れた、B Corpのアカデミアのコミュニティに参加した、などの報告をもらいました。ゼミというイベントが終わっても、それぞれが「ビジネスを良い社会のために使う」という目的に向かって進んでいることを感じられた瞬間でした。

 

 

終わりのない旅へ


バリューブックスは、2022年4月3日現在、認証B Corpの申請をまだ終えていません。2016年に一度Bインパクトアセスメントを行ない、
そこから改善を重ねつつ、時には寝かさざるを得ない、またあえて寝かせた時期を経て、2020年に社内で集まった仲間たちと手分けをして再度アセスメントに取り組みました。現在は、この2年間での変化を踏まえてさらなる更新を続けています。ここまで長いプロセスをともに歩んでいるバリューブックスのみんなには感謝しかありません。

B Corpを目指すようになってから「よい会社」についての取材を受けることも何回かありました。その度に、東京で働いていた「負けず嫌い」な自分のことを思い出します。あのころは自分が生き残ることが大事でした。さらにいえば、金融業界がもっている特権を理解できていなかったように思えます。「自分に何ができるのか」を理解するなかで、他にも力の使い方があることにようやく気づくことができました。

本書にはダイバーシティ(多様性)、エクイティ(公平性)、インクルージョン(包摂)といった概念や「周縁化されてきた人々」という言葉が何度も出てきます。それがアメリカだけでなく日本でも重要だと思えるようになったのは、特権によって生み出される従来の金融的なインパクトとは異なる、人びとが寄り添うことでかたちづくられる力を信じることができるようになったからです。それが、負けず嫌いなわたしが6年以上の旅を経てようやくたどり着けた新しい生存戦略、そしてB Corpに取り組む理由です。

2020年に版権を取得したときには、この本をみなさんにお届けできるまでに2年もかかるとは思ってもみませんでした。同時に、想像よりずっと遠くに来ることができたという実感もあります。この道は最良のものではないかもしれませんが、少なくとも自分たち、そして自分にとっては歩むと決めた道です。

この道を歩むために、そして世界中にいる仲間を見つけてともに歩みつづけるために必要なツールであるハンドブックを、多くの人たちと一緒につくりあげることができました。このハンドブックを携えて、次にふと立ち止まったときに見える景色と、新しく一緒に歩く人たちとの出会いを楽しみに実践を重ねていきます。もしよろしければご一緒しましょう。

 


 

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posted by バリューブックス 編集部

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