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2019-07-31

木版で描く、めくるめく「旬」の味。〈 彦坂木版工房 インタビュー 〉

 

 

 

みずみずしいぶどう、今にも転がりだしそうなミニトマト、ぎゅっと身が詰まったとうもろこし。

 

手に触れた時の質感や、口に含んだ時の食感までもが伝わってくるほど、リアルに表現された食材。季節ごとに寄せられた47点のイラストは、すべて「木版」で描かれています。

 

手がけるのは、彦坂有紀さんと、もりといずみさんによる「彦坂木版工房」。

工房を立ち上げてから10年を迎える今年、約5年ぶりとなる作品集『旬』を発表しました。

 

バリューブックスの実店舗である「NABO」では、

できたての本を抱えたもりとさんが訪ねてきてくれたことをきっかけに、お取り扱いがスタートしました。

 

絵本やドリンク、お菓子のパッケージでたびたび目にする彦坂木版工房のイラスト。

活動の節目に発表する作品集にはどんな思いがつまっているんでしょう。

 

見る人に驚きと感動を与えるおいしい木版に会いに、

夏のおとずれを感じるある日、おふたりのアトリエにお邪魔しました。

 

 

 

 

PROFILE

 

 

彦坂木版工房(ひこさかもくはんこうぼう)

2010年に彦坂有紀(写真左)と、もりといずみ(写真右)が始めた木版工房です。木版の素晴らしさを伝えるため、展示会や木版のワークショップを行っています。著書に『パン どうぞ』(講談社)や『おもち』(福音館書店)などがあります。また、食品のパッケージや広告、雑貨のイラストなど幅広く活動中です。

https://www.hicohan.com/

 

 

 

 

 

 

はじまりのパン

 

 

ふたりが出会ったのは今から10年以上前のこと。当時、大学生だったもりとさんの卒業制作がきっかけでした。

 

もりと

「当時、ぼくは服飾系の大学の学生で、卒業制作にファッション誌を作ることになったんです。その特集ページのひとつに「クリエイターが集まるカフェ」というのがあって、3人の作家に取材しました。ひとりがイラストレーター、ひとりがかばん作家、そしてもうひとりが木版画家の彦坂でした」

 

彦坂

「わたしは美大で木版を学んだことをきっかけに、卒業後は会社員をしながら、仕事の合間にせっせと絵を描いているような生活を送っていました。そこへ、知り合いのカフェの店長を通してもりとから取材の依頼があったんです」

 

もりと

「木版については、小学生の頃に手を真っ黒にして描いたイメージくらいしかなかったから、正直あんまり期待せずに会いに行ったんです。でも、そこで見せてくれたのが、人でも風景でもなく、パンの絵だった。感動しました。なにもないところにポンと現れたパンの姿は本当に美しかった。その場で『個展開きましょうよ!』と提案しました」

 

 

 

 

食べものはみんなが共感できる

 

 

彦坂

「実際にそのあと、名刺作りからDMの手配、会場探しまで全て、もりとがプロデュースしてくれて、無事、個展を開くことができたんです。展示したのは、その頃制作していた人物の絵だったんですが、多くのお客さんが目を止めてくれたのはそれではなく、ポートフォリオの中のパンの絵でした。『あら、おいしそう』『これ、私がいつも食べてるあんぱんみたい』って」

 

もりと

「今ではよく見かけるパンのイラストも、当時はまだめずらしかったんですよ。それに、誰もがみんな食べたことがあるものだから、共感してもらえたんだと思います」

 

 

このときの経験が、木版画で描くパンへの期待を確信に変えました。それからも彦坂さんはひたすら木版画を作り、もりとさんは職を転々としながらも、グッズ制作などを通してサポートを続けます。

 

2012年、彦坂さんは木版画家として独立。その年に開催した個展が近所のパン屋さんのパンを描いた「ベーカリヒムカパン画展」です。この個展がたいへん好評で、全国のカフェや本屋、セレクトショップでの展示も実現しました。作品は図録として1冊にまとめ、各会場で販売。これをきっかけに「木版でパンを描くイラストレーター」として、彦坂木版工房の名が全国に広まっていきました。

 

 

 

 

旬の食材で表紙を飾った4年間

 

仕事が忙しくなってくると、デザインや全体のプロデュースを担っていたもりとさんが、彫師として制作にも加わるようになりました。二馬力となったふたりは、出版社から絵本の依頼、企業からのパッケージ広告などの依頼を通じて、野菜やかき氷など新たな食べものにも挑戦。そんな時、初めてのレギュラーの仕事として舞い込んだのが、JA兵庫六甲の広報誌『Wave Rokko』の表紙イラストでした。

 

https://www.instagram.com/p/BU8HspHlwQB/?utm_source=ig_web_copy_link

 

彦坂

「六甲で採れる旬の食材をテーマに、毎月1枚イラストを寄せました。自分たちでは選ばないようなものも多く、それが思いがけずいい絵になることも。仕事がない時も、忙しい時も、4年間こつこつ描き続けました。でも、結局これを目にするのってJA兵庫六甲の会員さんだけだったんですよね。せっかくならもっと多くの人に見てもらいたい、という思いから、今回の作品集『旬』が生まれました。」

 

 

 

 

 

 

細部までこだわった1冊を

 

 

もりと

「ありがたいことに、2014年から毎年、絵本を出版させてもらっていたんですけど、シリーズを重ねるごとに、子どもやお母さん以外の層にも読んでもらえる本を、もう一度原点に戻って考えなきゃいけないと思うようになってきたんです。絵を眺めるだけではなく、デザイン本としても手元に置きたくなるような」

 

デザインの細部に至るまでこだわった1冊は、彦坂木版工房として最初の作品集『パンと木版画』とおなじく自費出版で、1000部を制作しました。

 

さりげなく飾られたタイトルの文字は、もりといずみさんのお母様で書家の森戸玲子さんによるもの

 

装丁には、表紙を折り返す仮フランス装という製本方法を採用した

 

 

 

 

尊敬する仕事から生まれたオマージュ

 

 

『旬』を作るにあたって、ふたりに多大な影響を与えた本があります。それはグラフィックデザイナーであり、イラストレーターでもある大橋正さんによる『大橋正の博物誌』(美術出版社)です。2冊を並べると、そのオマージュの完成度の高さに思わず感嘆の声がもれます。

 

 

 

 

もりと

「自分のなかで、“こうありたい”というのが、はっきりあって、それが大橋さんの作る仕事なんです。長年キッコーマンの広告を手がけていて、商品よりも素材の絵を生かした大胆なデザインが特徴です。今回の作品集は、『大橋正の博物誌』の現代版としても見てもらえるように、あえてこういう形を選びました」

 

 

 

 

 

版を重ねて生まれる立体感

 

 

彦坂木版工房の作品は、なんといっても手に触れられそうな質感が魅力的ですよね。この立体感は、どのようにして生まれているのでしょう。

 

木版画の制作の流れは、大きく3つ。

 

①下絵を描く。 

②下絵を版木に写して彫る。

③版木に絵の具を塗り摺る。

 

このうち、もりとさんが②の「彫り」を、彦坂さんがそれ以外の作業を担当します。

 

版木に下絵を写す際は、色の重なりを見ながらパーツを分解するのですが、彦坂木版工房では、自然な色合いや影の濃淡を再現するため、1枚の絵につき、通常4~6版に分けて写していきます。摺る時には絵を描くように版木に色を塗り、それを1版、2版と重ねていく。ひとつの作品にかかる時間は約1週間。長い道のりを経て、ようやくひとつの作品ができあがります。

 

 

 

 

 

 

偶然と必然が共存する

 

大学で木版を学びはじめると、その工作的な魅力にどんどん惹かれていったという彦坂さん。筆やペンで描く絵とはちがい、木版画は時に思いがけない表情を魅せてくれるそう。

 

 

彦坂

「塗って、摺って、理想の色が出るまで何度も繰り返すのですが、ぺろっと紙を剥がした時に、こう出たか!と驚かされることがよくあります。版木の木目や、紙の凹凸など、コントロールしきれない部分があるのが木版の面白いところです」

 

もりと

「摺る力の強さや絵の具の水分量をちょっと変えるだけで、表情ががらっと変わるよね」

 

ふたりが「色玉」と呼ぶ、試し塗りの跡。

 

積み上げられた絵皿には、過去の作品に使われた色が保存されている。

 

 

彦坂

「『旬』のなかで、とくに作るのが楽しかった作品が“神戸牛”。霜降りの脂を彫るのは大変でしたが、木版の風合いと相性がよく、“ごまずり”という技法で濃淡のある赤色を描き、ムラのあるリアルな質感が表現できました」

 

 

ほんもの以上においしく見えるのは、質感や色合いだけでなく、サイズ感にも理由がある。

大切にしているのがなるべく実際の大きさで描くこと。

よっぽど紙におさまらない時は、サイズを測ってから描きはじめます。

 

 

もりと

「例えば、顔くらい大きな和菓子を描いても、あんまりおいしそうじゃないですよね。本物と同じサイズにこだわることで、思わず食べたくなるような、リアリティが生まれます」

 

『旬』に収録されている「神戸牛」

 

 

 

おいしい記憶を描く

 

パンをきっかけに、多くのひとに身近なアートとして木版を紹介してきた彦坂木版工房。

この10年、食べものにこだわって描き続ける理由を教えてくれました。

 

新聞紙に包まれるのは、過去の木版とそのレシピ。

 

 

彦坂

「やっぱり、作れば作るほど、多くの人の心に触れるのは食べものなんだなと感じるし、自分自身も絵に気持ちをのせやすい。これが植物だったりすると、とたんに何を表現したらいいかわからなくなるんです。色なのか、形なのか、質感なのか。例えばそれがフランスパンだと、表面は硬くて、でも中はもっちりしていて……、とすぐにイメージが浮かぶし、わざと木目を強く出して硬さを表現しようとか、誇張したい部分が自然と決まってくる」

 

もりと

「絵を描く人って、自分の中でそのモチーフの魅力的だなって感じる部分を誇張して描いていると思うんですよね。こう見せたいなとか。ぼくたちの場合それが食べものなんです」

 

 

食べた瞬間の記憶を辿りながら、見えない部分まで描くことで、写真以上にその食材の「生」に触れることができる。

見たあとも不思議な余韻が続くのは、それぞれが人が持つ、幸福な食べものの記憶とリンクするからなのかもしれません。

 

 

 

 

作品集『旬』では、今回の記事では書ききれない、ふたりのこれまでの物語がたっぷり収録されています。

47点のイラストと合わせて、制作の背景にあるそれぞれの思いを是非ご覧ください。

 

 

そしてさいごに、うれしいお知らせです。

 

『旬』の発売を記念して、バリューブックスが運営するブックカフェ『NABO』にて、原画展を開催します。

 

作品集『旬』出版記念展

日時:8/3(土)〜15(木)

場所:BOOKS&CAFE NABO(長野県上田市中央2−14−31)

3日(土)、4日(日)の13〜17時は、もりといずみさんが在廊します。

【詳細はこちら】

 

 

さらに今回は特別にNABOで販売するhalutaのパン、フランスクブロ(山食パン)をモデルにした描き下ろし作品の展示も。

いつもはカウンターに並ぶパンが、紙の上では一体どんな表情を見せてくれるのでしょうか。

 

 

季節を彩る、おいしい木版にぜひ会いにきてください。

 

 

 

撮影:門脇遼太朗

posted by 北村 有沙

石川県生まれ。上京後、雑誌の編集者として働く。取材をきっかけにバリューブックスに興味を持ち、気づけば上田へ。旅、食、暮らしにまつわるあれこれを考えるのが好きです。趣味はお酒とラジオ。

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