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2021-06-30

信州の風土が濃縮された一滴。原点回帰を決めた酒蔵「真澄」がつくる日本酒と未来。

 

長野県諏訪市に位置する酒蔵、真澄。300年以上の歴史を持つ真澄がつくる日本酒は、透明感のある味わいと華やかな香りから、日本のみならず海外でも愛されています。バリューブックスと真澄は、諏訪に拠点を構えるほかの酒蔵と一緒に、本と日本酒を味わう「くらもと古本市」というイベントを開催したこともありました。

 

 

真澄は、長い時間をかけて、信州の風土が凝縮された美酒をつくり続けてきました。実は今、真澄は新しい酒造りへの転換期を迎えているのだと語ってくれたのは、今回の取材相手である宮坂勝彦さん。現在社長を務める宮坂直孝さんの息子であり、いずれ真澄を継ぐ後継者として活躍されています。

歴史ある酒蔵が、なぜ今、そしてどのように変革しようとしているのか。真澄の「変わる今とつくりたい未来」についてお話を聞きました。

 

100年前、真澄は倒産間際だった

 

━━ 宮坂さん、今日はよろしくお願いします。

 

よろしくお願いします。実は、ちょうどまさに今が真澄の変革期だったので、こうしてインタビューしていただけるのはありがたいです。

 

真澄
諏訪大社のご宝鏡を酒名に戴く真澄は寛文二年(1662)創業。清冽な水と冷涼な気候に恵まれた信州諏訪で酒を醸してきました。優良な清酒酵母として知られる七号酵母発祥の酒蔵として、その個性を活かした食中酒づくりを目指しています。

 

 

━━ そんなタイミングだったんですね。変革期と言いますと、新しい酒造りを始めているということですか?

 

そうですね、まずは、真澄の来歴をお話しさせてください。真澄は、1662年に創業した酒蔵です。江戸時代の中期ですね。今でこそある程度大きな酒蔵となりましたが、私の曾祖父、宮坂勝が継いだ時には、潰れかかっていたんです。

 

━━ 今や全国でも知られる真澄ですが、そんな時期があったんですか。

 

曾祖父は、先代が若くして亡くなったこともあり、20歳前半で真澄を継ぎました。赤字続きの酒蔵だったので、廃業した方がいいという声がある一方、当時でも200年の歴史があったので、続けて欲しいという声も同じようにあって。曾祖父は覚悟を決めて、真澄の改革を始めたんです。これが1920年代の話ですね。

 

━━ 酒蔵の改革。具体的にはどういったことをされたんですか?

 

シンプルな答えになってしまいますが、酒造りの姿勢を変えたんです。当時はまだ交通や物流の手段が発達しておらず、酒の流通する範囲限定的でした。ただ将来的には少なくとも国内の市場が結ばれる未来が訪れることを見越し日本一と呼ばれるような品質のお酒をつくらなければ生き残ることは出来ないと、抜本的な改革を始めました。

そうは言っても、いきなり酒の味わいや品質が変わるわけではありません。当時でもそこそこ地元では評価されていたし、現状を変えたくない、と思う蔵人も多くはない。宮坂勝が採った手法は、大胆にも、それまで長く勤めていた熟練の蔵人には全員辞めていただき、自分と同じ歳の頃だった窪田千里氏を杜氏に抜擢し、共にゼロから真澄の酒造りを見直していきました

当時は、車はもちろん、電車だって限定的にしか走っていない世の中です。そんな中、「良い酒をつくる蔵がある」と聞いたら、宮坂勝と窪田杜氏は歩いて峠を越え、電車に乗り、日本中の蔵をめぐったんです。今、僕らが海外に出かける以上に苦労を重ねながら、熱心に銘醸地を巡り、交流を重ねながら学んだことを地道に自社の酒造りに取り入れてきたことで徐々に酒質が向上するようになりました

 

 

蔵で見つかった、新種の酵母

 

━━ 組織の体制をガラリと変え、自ら日本中の酒蔵を巡り、学ぶ。その熱意と行動力で、真澄の酒造りが変わったんですね。

 

とはいえ、人材の育成、設備投資といった改革が品質に反映されるまでには、長い時間がかかります。酒造りは、秋に収穫された米を冬に仕込み、春に出荷するという年に1回の作業。トライ&エラーを繰り返すのも容易ではありません。

二人の努力が実り、1940年から、全国的な日本酒の品評会で真澄の酒が評価されるようになりました一躍その名を轟かせたのが、1943年のこと。各社が3本まで出品できるこのコンテストで、真澄から出品した3本が一位から三位まで上位を独占したんです。この快挙によって全国的には無名の酒蔵であった真澄の名が一気に広がっていきました。

 

 

━━ 一位から三位までが、すべて真澄だったということですか! 驚くほどの結果ですね。

 

1946年にも再び首席の栄誉に輝きます。度重なる上位入賞に研究者の方々も驚き、その理由を探るために真澄の蔵に調査に来たんです。そこで、発見されたのが新種の酵母。1946年に発見されたこの酵母は「七号酵母」と名づけられました。真澄の酒の品質の高さをつくり上げる要素のひとつには、この酵母が大きく寄与していたんです。

 

━━ 新しい酵母が見つかった。酒造りにおいて、酵母の存在はそんなに大きいんですね。

 

日本酒は、米、水、酵母の3つの要素でつくられる液体ですからね。その1つが変わるだけでも、味わいは大きく違うものになるんです。この七号酵母によって、透明感があり、華やかな香りを持つ酒質を生み出されていたのです

 

 

 

個性を失っていった酒蔵を、原点回帰させる

 

━━ それ以来、真澄はこの七号酵母を使った日本酒をつくり続けてきた、ということですか。

 

いえ、実はそうではないんです。これが、はじめに「いまが変革期だ」とお話ししたことと繋がります。100年前に曽祖父の勝勤しみ、取り組んだ品質重視の酒造り、七号酵母を基点とした酒質も時代とともにその姿を変えていきます

大きな流れとして、世の中が求める酒質の変化があります。七号酵母の発見以降も新種の酵母は次々と発見され、それに伴って酒質も進化していきます。中には研究所で人為的に生み出された酵母も数多く開発されました。華やかな香りや特徴的な味わいを生み出す酵母でつくられた酒質は、一口飲んだ時の印象が強い。地方の市場規模が縮小する中で、東京を中心とした都市部の市場での販売を伸ばすという課題に直面した酒蔵の中には、そうした市場でウケる酒質をつくり出すために、既に市場で評価をされていた酒質のコピーをするという手法を採った酒蔵も多く存在しました。

僕は2013年に家業である真澄に入ったんですが、当時は高い吟醸香と甘めの酒質が市場で評価されていたこともあり、多くの酒蔵が金太郎飴の様に似た味わいの酒を造るようになっていました。裏を返せば、どこの酒蔵がつくる日本酒も、同じような味わいになってしまっていたんです。

真澄も同様で、七号酵母ではない酵母を用いたトレンド志向の酒造りを続けていた結果、僕の目から見れば主張のない酒が並んでいるようにしか見えませんでした。

 

 

━━ 時代に合わせて酒造りを行ったけれど、他社と同じ戦略を採った結果、真澄の個性が薄れてしまった。

 

はい。他社と似た味わいである、というだけでなく、トレンドであった吟醸香が強めの甘い味わいの酒は、個人的にも美味しいと思えなかったんです。

そんな中、たまたま都内の飲食店で飲んだ日本酒が本当に美味しくて。その蔵のことを調べたら、全ての酒を七号酵母を使って仕込んでいることを知りました。

その美味しさは日本酒を知ったつもりでいた自分にとって青天の霹靂ともいうべき味わいでした。目の前の景色が変わったとも言えます。そして自分がやるべきこと、進むべき道を照らしてくれたのです。真澄の原点とも呼べる「七号酵母」を活かし、トレンド追従型の八方美人的な酒造りから、自分が信じる美味しさを具現化した酒造りへと変わるべきだ、と強烈に感じたんです。

 

 

━━ そんな経緯があったんですね。今また、真澄の姿勢を変えるタイミングが来ている、と。三代前の曽祖父さまがそうであったように、宮坂さんが一言で「改革する」と言っても、その理解を得るのは難しいのではないでしょうか。

 

そうですね。「真澄の酒は、すべて七号酵母だけにしよう」と言ったのですが、地味な酵母で市場から評価される酒はつくれない、と製造や営業から大反対を受けました(笑)。

諦めずに取り組むきっかけとして大いに機能したのが、『MIYASAKA』という弊社のセカンドブランドの存在です。真澄は地元のスーパーや百貨店といった幅広い流通先でも販売されていますが、『MIYASAKA』いわゆる専門店である酒販店だけに卸しています。日本酒にこだわりがあるお客様や飲食店酒販店で酒を購入することが多いため、流通戦略上の事情から平仮名表記の『みやさか』ブランドを持っていたんですしかし『みやさか』の酒質の個性やこだわりは際立って存在するわけではなく、真澄との違いがはっきりと目に見えるものではありませんでした。

僕が入社してしばらく経った時に、『みやさか』のリニューアルを任され、そのコンセプトを「七号酵母」に定めました。またリニューアルを機に、ブランド名も『MIYASAKA』に変更。とはいえ、初めはうまくいきません。蔵人の七号酵母に対するイメージを変えること、新たなことに取り組む志を共有することも簡単ではありません。しかし、次第にその酒質を評価する声が届くようになったり、蔵人からも「実はこういう酒造りをしたかった」と言ってくれる人が若手中心に出てきました

 

━━ 次第に共感する声が広がっていったんですね。

 

ある日、社内での飲み会があったんですが、若手の蔵人と一緒につくった酒を持ち込んだんです。「俺たちはこれを飲んで楽しんでようぜ」という感覚だったんですが、年配の蔵人や親父もいつの間にかこの酒を囲んで酌み交わすことに。

どんなものかと訝しがって眺めていた蔵人も、飲んだ途端に目が点になったんです。当時トレンドであった華やかなタイプの酒質は飲み飽き・飲み疲れしやすい中、七号酵母でつくられた酒質は穏やかで盃が進む、そして食事にも合うことを体感して貰いながら、次第に「本来、真澄の酒はこうあるべきだ」という共通認識が社全体に広がっていきました。

そして遂に七号酵母への原点回帰を2019年に決断。2013年の家業に戻った時にはもっと長い時間がかかるものだと思っていましたが、これだけの短時間でその方向に蔵の方針を変えることが出来たのはひとえに想いを理解してくれた蔵人のお陰です。

 

 

コロナの直撃と、それでも伝えたい日本酒の魅力

 

━━ 酒造りの根幹を成す酵母を変えるわけですから、非常に大きな変化ですよね。お客様の反応はいかがでしたか?

 

様々ですね。「味が変わった」と離れる方も、付いてきてくれる方も、このメッセージに新しく共感してくれる方もいます。でも、強い信念を酒質に投影することが出来なければ、日常品から嗜好品へと変化していく将来の市場で生き残っていくことは出来ません。

そもそも、日本酒の製造量、販売量のピークは1972年で、半世紀近く下がり続けているんです。そして、誰もが予想だにしなかった新型コロナ。正直、僕たちも過去に経験がない売上低迷に直面しています。日本酒消費の中心であった飲食店がコロナ禍を受ける中で、私たちとしても影響がない訳ありません。

 

━━ 飲食店が打撃を受けるということは、そこに日本酒を降ろしている酒蔵にとっても大きな影響ですよね……

 

はい。しかしお酒を楽しんで頂く場所は飲食店だけではありません。自宅で料理と一緒に楽しむ食中酒として選んで頂く、会えないからこそギフトとして選んで頂く、そうした需要はコロナ禍においても確実にあるはずです。

こうした状況の中で始めたことの一つに『BREW』というタブロイドマガジンの発行があります。商品に込めた思いや、真澄の酒がつくられる信州の歴史や文化を伝えることで、これまで以上に一本の真澄を楽しんで頂こう、興味を持ってもらうきっかけを作ろうという意図でスタートしました。

 

 

https://www.masumi.co.jp/brew/

 

 

シャンパンが作られるフランスのシャンパーニュ地方や、ワインの銘醸地として知られるフランスのボルドー、アメリカのナパバレーなどには上質な酒は勿論、それを作り出す人々のライフスタイルや文化にも魅力があること、美しい自然風景や大切にされてきた伝統があることがその酒を更に魅力あるものに魅せていることを感じてきました。

自分たちが暮らし、生きる信州諏訪の地をより魅力的な場所にしていくこと、そしてその価値を発信していくことも酒蔵としての努めだということは以前から思っていましたので、コロナを機に新たな企画に取り組む時間と余力が出来たのは非常に良いことだったと思っています。

 

 

原点に学び、美味しい酒造りを続けるだけ

 

━━ お酒の魅力って、その味わいだけでなく、裏に込められた自然や文化、まさに歴史を知ることで深まるものですよね。今後、さらに実現したいと考えていることはありますか?

 

ひとつには、自然に負荷をかけない農法で作られた酒米を原料にした酒造りです。一般的な慣行農法には農業資材として使用されている農薬や肥料においてプラスチックが使用され、それが田畑に残留したり、川を通じて海へ流れ出すといった隠れた課題があります。米作りがマイクロプラスチック問題の温床になっているとは、知った時には驚きましたがこれを放置することは出来ない。未来への責任を果たすためにも、この課題に対処していきたいと強く思っています。

既に契約農家の方々の中には無農薬の米づくりに取り組んでいる方がいますが、大変な手間と労苦をかけて取り組んでいます。農家の高齢化、地方から都市への人口流出を考えると、想いだけでは持続可能な農業を実現することは出来ません。石油由来の資材を使用した農業から脱却するための技術開発に関わり、持続可能な米作りをどの農家の方でも出来る未来を創造していきたいです。

 

 

 

━━ 持続可能な農法でつくられた米を使った日本酒! それは社会的にも意義がありますね。

 

はい、長い時間をかけて作られてきた日本酒の存在が足元で崩れてきています。コロナウイルスの存在以上に自分たちの手によって大地が汚されているんです。こうした状況を糺さない限り、未来に日本酒を繋いでいくことは出来ないと思っています。

将来の市場を作り出すといった観点からは、今まで日本酒に馴染みがなかった方々にも進化する日本酒の今を知ってもらうべく、Aoyama Farmer’s Marketに出店したり、時には世界的なDJのバックステージに日本酒を置いてもらうこともあるんですよ(笑)。

 

━━ DJのバックステージ……! かなり幅広いアプローチですが、確かに私たちのような年代にとって日本酒に触れる機会ってそう多くはないですよね。

 

最終的には時間がかかる大きな目標ではあるのですが、日本酒の市場規模、そして社会における立ち位置を変えたいです。世界的にも有名な発泡性ワイン「シャンパン」の産地であるフランスのシャンパーニュ地方って、聞いたことありますよね。あれはフランスの一地域のことなんですが、九州の半分くらいの広さしかないんです。

それでいてシャンパンの輸出金額は毎年6000億円近くの規模があります。世界からシャンパーニュ地方を訪れる観光客も多く、ツーリズムやホテル、レストランといった周辺産業も含めれば一大産業です。

 

━━ そんなに大きな市場なんですか。真澄のこれからに期待します。

 

かたや日本酒の輸出額は伸びているとはいえ年250億円程度。生きているうちに5000億円にはしたいですね。これくらいの市場規模にすれば、シャンパーニュ地方のように世界中から日本に来て酒蔵を訪問したいと思う人も増えるはず。各地にある宿泊業や飲食業は勿論、原料の酒米を栽培する農家の方々も存続が可能になるだけのインパクトを持った数字にはなるはずです。

これは夢物語ではありません。健康的であり、美味しいものを食べたいというニーズが世界中で高まる中で和食への注目度は高まっています。それに合わせるとなれば、やはり日本酒が選ばれます。こうした背景から上質な日本酒の需要は高まっているんです。こうした追い風が吹く中で、その風を更に大きなものにしていきたいですね。

 

 

そのために大切なのは、これまた原点に戻りますが品質を最上位に置いた酒造りの姿勢です。呑んでくれた方が素直に「美味しい」と思ってくれるような品質の酒をつくるということ、そしてそれを信頼できる販売店の方々と丁寧にお客様の手に届ける、この地味な作業の繰り返しに尽きると思っています。100年前に曽祖父が志した想いを今の時代に引き継ぎ、学びと研鑽を重ねてこれからも酒造りを続けていきます。

 

 

 


 

本取材はバリューブックス14周年を記念したコラボキャンペーン「ほんのきもち」に際して行われました。

真澄の素敵なプレゼントが “もれなく” 手に入るキャンペーンに関して、詳しくは特設サイトをご覧ください。

 

「ほんのきもち」特設サイト:https://www.valuebooks.jp/anniversary

 

 

 

 

真澄 HP:https://www.masumi.co.jp

 

 

posted by バリューブックス 編集部

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