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2023-05-15

【酢みそや納豆、付いてきます】小倉ヒラク『オッス! 食国』オリジナル特典付き予約 & 序文の一部公開!

 

『発酵文化人類学』『日本発酵紀行』などの著作で日本各地の「食」を紐解きながら、下北沢にて発酵専門の食品店「発酵デパートメント」も運営する、小倉ヒラクさん。

そんな彼の新しい集大成となる一冊、『オッス!食国 美味しいにっぽん』の発売が決まりました!(2023/7 発売予定)

 

※ かわいらしい装画を手がけたのは、漫画家/イラストレーターのスケラッコさん

 

発酵デパートメントのポッドキャスト「RADIO #ただいま発酵中」のスポンサードも行う VALUE BOOKS としては、本書の発売、ならびに予約を大いに盛り上げたく、とってもお得(で不思議な)な予約特典をご用意しました!

それは、定価で予約できるのに、なぜか酢みそや納豆が付いてくるというもの。

「特典はいらないよ、本だけ欲しいな」という方は、【頑張り過ぎたヒラクを助ける!】というページからご予約ください。

こちらは、お客様には本のみをお届けし、本書の執筆に時間とお金を注ぎ込み過ぎたヒラクさんに、VALUE BOOKS が書店利益分を還元するという、これまた不思議なコースとなっております。

 

特典商品の詳細は、予約ページに記載しております。

下記の3つのページより、お好きなコースからご予約くださいませ!

 


 

酢みそ、納豆、著者還元。お好きなものをどうぞ!

 

【400個限定 酢みそ付き】オッス!食国 美味しいにっぽん – 予約ページ

 

 

 

【300個限定 アウトドア納豆付き】オッス!食国 美味しいにっぽん – 予約ページ

 

 

 

【頑張り過ぎたヒラクを助ける!】オッス!食国 美味しいにっぽん – 予約ページ

 

 

 

序文の一部公開

 

さらに、予約開始にあわせまして、『オッス! 食国』の序文の一部を公開いたします。

読んでいただくだけで、「これは、本当に日本の食をディープに掘っていく本なんだ」と実感いただけるはず。

ご一読、ならびに本書のご予約、心よりお待ちしております!

 

 序章:百味の飲食、海川山野の味なもの

奈良の夏の夕暮れ。セミがさんさんと鳴いている。社の裏には鬱蒼とした森。繁った葉の隙間から、西日が糸のように垂れている。社の裏手から森につながる細い道を、お盆を目線より高くにうやうやしく持った巫女がしずかに歩いていく。お盆の上には、米や魚、塩などの食物が盛られている。これは、朝と夕の二度、神に捧げる食事。雨の日も風の日も、戦争や天変地異のなかでもたゆまず受け継がれてきた供物の文化。森から山へ、山から天へと彼方に住まう神に美味しい食事を届ける。
千年以上前から続く、神饌の光景だ。

やすみしし わご大君の 食国は
倭も此処も 同じとぞ思ふ

万葉集の六巻に、大伴旅人が詠んだこんな歌がある。九州の太宰府に駐在していた旅人が「奈良の都を恋しく思うか」と部下に聞かれて「同じ天皇の統べる国なのだから、奈良もここも同じだよ」と返した歌だ。都落ちした寂しさをこらえる郷愁を感じる一首のなかの、「食国」という聞き慣れない言葉が印象的だ。

食国(おすくに)とは、召し上がりなされる物を作る国、という事である。後の、治(おさ)める国という考えも、此処から出ている。

民俗学者の折口信夫の論考『大嘗祭の本義』で論じるところによると、万葉集が編まれた時代において「食国」は日本そのものを指す言葉だった。日本を統べる天皇の仕事は、田畑を司り食物を生成させること。秋に田畑から収穫された食物を調理した神饌を神に捧げることが、国の大事なまつりごと(祭/政)だったという。古代の日本では、神は「食物の生成される場」を象徴する存在。そして神の治める日本列島に住む共同体のメンバーの大事な仕事は、生成された食物をうまく収穫・加工することだった。神と民の、食をめぐるコール・アンド・レスポンスこそが「国をお(食/治)す」ことである、食をめぐる生成と循環が、すなわち世界の生成と循環を司っている。

食すことは、治すことなのだ。

▼食べることを巡る三つのレイヤー

折口信夫がイメージした「食国」の世界観に、僕は日本に生きる人々への食への異常なまでの愛着の原風景を見る。日々テレビや雑誌、WEBのレシピサイトで「美味しいものはないかしら?」とチェックする情熱の奥底には「美味しい」を越えた何かがある。その「何か」とは?を考えていくと、第一に思い当たるのは、食べることが身体を維持するための「生物的な行為」である、ということだ。第二に、食卓を介して家族や友人たちとのコミュニケーションを取る「社会的な行為」とも定義できる。料理家の城戸崎愛の言う「食べることは生きること」という言葉は、食こそが人間を社会的な動物たらしめている、という主張である。ここまでは食に関心のある人ならばすんなり理解できるだろう。
さて、ここからが本書のテーマだ。折口信夫の言う「食国」には、僕たちの無意識の沼に沈んだ「第三のレイヤー」があるのではないか?個体としての動物(第一のレイヤー)、個人としての人間(第二のレイヤー)という「個」のレイヤーの下に、曖昧でほの暗い沼が広がっている。この世界では、明確な輪郭を持った「個」の境界が溶け、超自然の神や怪物、異なる時代を生きる祖先や死者たちが溶けた境界に入り込んでくる。視点を複眼にして考えてみよう。主体を持つ「個」の視点から見れば「食べることは生きること」のスローガン通り、何かを食べることは生きるための材料を取り込んで社会的なつながりを確認するための「喜ばしい行為」である。しかし視点を裏返すと、取り込まれる側は領域を侵犯するハッカーとも言える。「食べること」は、異物を自分の領域内に招き入れる恐ろしい行為でもある。
食べることで自分たちのアイデンティティーを維持する、これが第一・第二レイヤーの「個」から見た世界観である。しかし第三のレイヤーでは世界が裏返り、食べもの自体がすすんで食べ「させる」ことで、領域外から個の存在に影響を与える。

「食国」は裏返った世界である。
食べることは「自発的に食べる」ことではなく、個人が意識しない沼のなかで「食べさせられる」ことによって、知らず知らずのうちに自分の存在を規定していく。暴力で抑えつけるのではなく、イデオロギーで啓蒙するのでもなく、食べることを通して個の集まりのなかに秩序をつくりだす。食は第三の統治法だ。
大伴旅人は、奈良の都から太宰府に飛ばされて、空間的には隔たれたとしても「食べること」を共有することで共同体(倭)のメンバーとしてのアイデンティティを保っていた。物理的距離の遠さよりも、食の近さが優先される。ヨーロッパやアメリカに引っ越しても味噌汁や納豆を食べる習慣を続け、炊きたてのお米の香りに郷愁を感じてしまう日本人の原点は、万葉集にある。

posted by 飯田 光平

株式会社バリューブックス所属。編集者。神奈川県藤沢市生まれ。書店員をしたり、本のある空間をつくったり、本を編集したりしてきました。

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