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2016-10-12

「いつか、月舟町で」

店長を務める本屋「NABO」(ネイボ)のある上田市は、長野県では長野市、松本市に次ぐ3番目に大きな町。

人口16万人ともなれば、色々な趣味や特技を持った人が日々NABOに訪れ、出会いがある。

ひとつの特徴は、200万冊を誇るVALUE BOOKSの倉庫の、膨大な古本在庫から注文ができることだ。注文を受けた本をぱらぱらとめくっては、「ああこんな本もあったんだ」と注文してくださる方が居なければ手に取ることもなかったような本と出会うこともあるし、会話の端々で教えて頂くこともある。

そんな、本と隣人たちをめぐるストーリーをここで幾つか紹介できればと思っています。

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今回紹介する「蘭ちゃん」との出会いは2015年1月のことで、彼女はNABO近くの大学に通う21歳だった。

帆布という厚みのある生地で鞄を作ることがとても上手で、技術とかいうことよりも、ユーモアとそれを品良くまとめる感性にいつも感心させられていた。

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そんな彼女の鞄をNABOで期間限定販売したのが2015年の4月。

山をモチーフにした「山のカバン」の持ち手は木でできていて、それは彼女が通っていた大学にあった木の枝を拾って丁寧に磨いたものだったりする。

他にも、海の浮き玉をモチーフにした、まんまるの「海のカバン」、文庫本とお財布だけ持って出かけられる小さなカバンなどいくつも店内に並んだ。

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蘭ちゃんに、活動名義の「tukifune」は、小説の中に出てくる大好きな町の名前から取っていて。

と話をされたとき、蘭ちゃんの頭の中に浮かんでいたのは

《それからは、スープのことばかり考えて暮らした》(著:吉田篤弘)

わたしの頭の中に浮かんでいたのは

《つむじ風食堂の夜》(著:吉田篤弘)。

このすれ違いに気づいたのは実はつい最近のことで、というのもこのシリーズは「月舟町3部作」と呼ばれ、どれも「月舟町」を舞台に違った主人公の視点で日々を描いた小説なのだ。

なので、月舟町のことを思い出す時、わたしは《つむじ風食堂の夜》の主人公「先生」のことや、オレンジに反射した灯りで本を読む果物屋を思う。

蘭ちゃんは《それからは、スープのことばかり考えて暮らした》に出てくるサンドイッチ屋「3(トロワ)」のことを思う。

同じ町の事を話しているのになんだか不思議だ。

でもそれは実際の町にも言えることで、蘭ちゃんは自分が通う大学の敷地内で採れる季節の実のことにやたらと詳しく、大学のまわりがホームグラウンドだった。

鞄の展示をやってもらった頃、自転車でカドを曲がる時に1回1回降りないと曲がれないと冗談みたいなことを言っていたけれど、車で町を移動するわたしと違って、蘭ちゃんが見ている上田はそういうスローな速度でしか見つけられない、どこそこの家の庭がきれいだ、とか、あの細い道の先の古い建物が、とかいうものだった。

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2016年、蘭ちゃんは、神戸で帆布を使って鞄を作る会社に就職し、上田から神戸へと旅立って行った。

もうこの町に居ない誰かのことを「隣人」と呼んでいいのかはわからないが、NABOにとってすごく大切な時期に蘭ちゃんが隣人として居てくれたことは、このお店が持つ物語としてずっと変わらない。

本人も言っていたけど、蘭ちゃんが月舟町に住んでいたらきっと「3(トロワ)」の近くに住んでいるだろう。わたしは多分、果物屋のあたりに住んでいて、たまに果物屋で買い物しがてら本の話でもするかもしれない。

本の中のできごとが現実に漏れ出して行って、現実が本の中に入り込んでいく。

きっとこの先、また月舟町が出てくる小説を読んだ時、わたしは蘭ちゃんと出会う前に読んだ月舟町とまた違う月舟町にいるだろう。そこには彼女が住んでいるのだと当たり前のように思うことができるようになったから。

現実で出会った隣人との出会いが、本の中の印象や町の姿を変えてしまうこともある。これからもきっと本を読み続け、人と関わる限りそのうれしい出会いは何度も起きていくだろう。まだ見ぬ本と隣人にいつ会うことができるのか、楽しみでならない。

posted by 池上 幸恵

長野県上田市にてバリューブックスが運営する本屋「NABO」(ネイボ)店長。
NABOとはデンマーク語で「隣人」の意味を持ち、「本で町を豊かにする」をテーマに掲げ、毎日小さなイベントを開催したり、バリューブックスの200万冊の在庫を生かし3ヶ月に1回店内の半分以上の本を入れ替える本屋。
この秋こそはきのこ狩りに出かけたいと思っている。

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